彼女の原点を紐解く上で欠かせないのが、日本放送協会(NHK)で培われた徹底的な取材倫理とドキュメンタリーへの情熱だ。事実を客観的に見極め、権力に与せず、声を上げられない人々の息遣いを掬い取る。その姿勢は公共放送の厳しい規律の中で研ぎ澄まされた。
その後、制作の自由度と表現の多角化を求めて共同テレビジョンへと軸足を移した動きは、当時の業界関係者を大いに驚かせた。単なる組織の移動ではない。自らのアイデンティティを賭けた「脱・形式主義」への宣戦布告だったのだ。
共同テレビジョンという環境を得たことで、彼女の表現はより鋭利でダイナミックなものへと変化を遂げた。組織の壁を越え、外部の才能と柔軟に血を混ぜ合わせることで、日本国内のテレビ文化に新たな一石を投じ続けたのである。