彼女のキャリアを語る上で欠かせない起点、それが1982年の日本航空(JAL)沖縄キャンペーンガールへの抜擢だ。当時、熊本大学教育学部に在学中だった彼女が見せたエレガントかつ健康的なビジュアルは、全国に強烈なインパクトを与えた。ポスター一枚で街の空気を変えるほどの華やかさは、まさに時代の寵児となる予感に満ちていた。
その後、大手芸能プロダクションである太田プロダクションに所属し、本格的にタレント・女優としての活動をスタートさせる。学業との両立に悩みながらも、持ち前の聡明さと根性で怒涛のスケジュールを完走。当時の彼女が解き放っていた瑞々しい光芒は、今もなお語り継がれる伝説だ。