ハーフナー・マイクがスパイクを脱ぐ決断を下した背景には、長年プロとして戦い抜いた肉体の限界と、引き際に対するストイックな美学がありました。横浜F・マリノスのアカデミーで育ちトップ昇格を果たしたものの、若手時代は出場機会に恵まれず、アビスパ福岡やサガン鳥栖への育成型期限付き移籍を経験しました。
彼のキャリアが劇的に開花したのは、2010年に完全移籍したヴァンフォーレ甲府時代です。当時J2で20ゴールを挙げて得点王に輝き、クラブをJ1昇格へ導くと、翌2011年のJ1でも日本人トップタイとなる17ゴールをマーク。その圧倒的な打点の高さとポストワークでJリーグ屈指のFWへと登り詰めました。
2012年からはオランダ1部のフィテッセへ移籍。欧州の屈強なセンターバックを相手に公式戦通算26得点を記録し、2015-2016シーズンに所属したADOデン・ハーグではリーグ戦16得点という大暴れを見せました。しかし、キャリア後半はヴィッセル神戸、ベガルタ仙台、東海社会人リーグのFC.Bomboneraなどでプレーを続ける中で、慢性的な股関節や膝の痛みに悩まされ、納得のいくパフォーマンスの維持が難しくなったことが引退の決定打となりました。