西川県政の16年間(2003年〜2019年)を語る上で欠かせないのが、「原発銀座」と称された福井県のエネルギー政策と、悲願であった「北陸新幹線整備」の2大テーマです。
2011年の東日本大震災以降、西川氏は立地自治体の首長として極めて重い決断を迫られ続けました。原発の再稼働問題では、関西電力や国に対して唯々諾々と従うのではなく、「国のエネルギー政策の明確化」「使用済み核燃料の県外搬出計画」「安全対策の実効性」を徹底して突きつけるタフネゴシエーターとして振る舞いました。時に国と激しく対立しながらも、立地地域としての発言力と安全協定の強化を勝ち取った手腕は、全国のエネルギー政策関係者を唸らせました。
また、北陸新幹線の福井・敦賀延伸に向けては、中央への強力な陳情活動と予算獲得の先陣を切り続けました。並行在来線問題の調整など難題が山積する中、前倒し着工を勝ち取った背景には、自治省・国土庁仕込みの人脈と突破力がありました。さらに「恐竜ブランド」の発信や「子育て・学力体力日本一」の福井モデルを全国に定着させた功績も、西川県政の大きな遺産です。