芹沢鴨の思想的ルーツを辿る上で外せないのが、常陸国(現在の茨城県)における水戸学とその過激派グループ「水戸天狗党」との関わりだ。彼は本名を下村嗣二(後に芹沢鴨と改名)といい、常陸国行方郡芹沢村の郷士の家に生まれた。幼少期から神道無念流の達人として名を馳せる一方で、詩歌や書画を嗜み、和歌の詠み手としても優れた才能を発揮していたという。
当時の水戸藩は尊王攘夷運動の中心地であり、激しい派閥抗争に揺れていた。芹沢もまた尊皇攘夷の志に燃え、玉造勢の一員として結集したものの、幕府による弾圧を受けて捕らえられ、投獄された経緯を持つ。死罪を免れて放免された後に上京した彼は、単なる無頼漢ではなく、確固たる尊皇の志と高度な政治的教養を併せ持つ「思想家」としての一面を有していたのだ。