はしまき(箸巻き)のルーツを辿ると、昭和後期の九州地方(福岡・熊本など)および中国地方(広島など)の屋台発祥という説が有力です。鉄板粉もの文化が古くから成熟していた西日本において、お祭りの混雑した境内を「歩きながら片手で手軽に食べられるお好み焼き」として考案されたのが始まりとされています。
関西から九州にかけての西日本エリアでは、初詣や夏祭り、花火大会の露店に必ずと言っていいほど「はしまき」の看板が並びます。しかし、静岡県や愛知県あたりを境に東へ進むと、その姿は急速に姿を消します。
関東地方の屋台に進出しなかった最大の要因は、東日本に根付いていた独自の粉もの屋台文化との競合です。東京を中心とする関東圏では、明治・大正期から続く「もんじゃ焼き」の系譜を引く「どんどん焼き」や「お好み串焼き」、さらには「あんず飴」や「焼きそば」といった定番品目がすでに強固な地盤を築いていました。
さらに、屋台を仕切る各地の露店商組合(テキヤ組織)における仕込みや鉄板機材の流通ルートが東西で異なっていた点も見逃せません。西日本の露店商の間で「原価が安く、省スペースで大量に焼け、回転率が抜群に高い」と広まったノウハウが、食文化の異なる関東の組合には積極導入されなかったという業界構造が、東西の明確な境界線を生み出しました。