現在でこそ格式高い舞踏会の象徴とみなされるワルツですが、その起源の真相を紐解くと、当時の支配階級を震撼させたサブカルチャーとしての姿が浮かび上がってきます。
18世紀中盤、オーストリアや南ドイツのアルプス地方で農民たちが踊っていた「レントラー(Ländler)」などの素朴な民族舞踊がワルツの直接のルーツとされています。素朴な農村の酒場で、荒々しく足を踏み鳴らし、女性を高々と放り投げるように回転していた野卑な踊りが、都市の拡大とともにウィーンなどの歓楽街へ流入しました。当時の都市居住者にとって、このスピード感と身体の接触は強烈な刺激となったのです。
当時のヨーロッパ貴族社会を支配していたのは、フランス宮廷発祥の「メヌエット」でした。メヌエットとワルツの決定的な違いは、その「空間的・身体的距離感」にあります。メヌエットは決められたステップを踏み、パートナーとは指先を触れ合わせる程度で、視線を合わせながら会釈を交わす「規律と秩序」の踊りでした。絶対王政下における身分制度の序列と自制心を体現した儀礼だったと言えます。
それに対してワルツは、男性が女性の腰に手を回し、女性は男性の肩に手を置き、互いの顔と胸を接近させたまま高速回転する「クローズドホールド」を採用しました。当時の道徳規範からすれば、公衆の面前で男女が密着して旋回するなど前代未聞の背徳行為でした。当時の医学者や宗教家からは「激しい回転によって脳内出血を引き起こす」「女性の貞操を奪い去る悪魔の所業」と激しいバッシングが浴びせられました。文豪ゲーテは1774年の自伝的小説『若きウェルテルの悩み』の中で、主人公ウェルテルが思いを寄せるロッテと初めてワルツを踊った際の内省として、「愛する女性が自分以外の男とワルツを踊るくらいなら、死んでしまったほうがましだ」という趣旨の激しい独占欲と衝撃を記しています。
しかし、1789年のフランス革命を経て封建主義が崩壊し、市民階級が社会の主役へ躍り出ると、このダイナミズムは一気に市民の心を掴みます。1814年から1815年にかけて開催されたウィーン会議では、「会議は踊る、されど進まず」と評された通り、各国の首脳や外交官たちが夜な夜なワルツに熱中しました。禁忌であった大衆の快楽が、古い秩序を飲み込み、ヨーロッパ全体の共通言語となった象徴的な転換点でした。