「万里の長城を作った人=秦の始皇帝」という認識は、歴史の全体像から見ると一部の事実に過ぎません。万里の長城の歴史をわかりやすく紐解くと、その誕生から完成までには大きく分けて3つのフェーズが存在します。
始まりは始皇帝が生まれるはるか前、紀元前7世紀頃の春秋戦国時代です。当時の中原に割拠していた斉(せい)、楚(そ)、燕(えん)、趙(ちょう)などの各国が、隣国や北方民族からの侵略を防ぐために領境へ個別に土壁を築き始めました。これが長城の原型です。
紀元前221年に中国全土を初めて統一した秦の始皇帝は、これらバラバラに点在していた長城をつなぎ合わせ、北方の防衛ラインを一元化する大プロジェクトを強行しました。既存の壁を連結・修築し、西は臨洮(現在の甘粛省)から東は遼東までを結ぶ巨大な軍事要塞ネットワークを形成したのです。
しかし、始皇帝の秦が滅びた後も漢や北魏、北斉など歴代王朝が修復と拡張を繰り返しました。そして今日、北京周辺の「八達嶺」などで見られる堅固なレンガ造りの長城を築き上げたのは、始皇帝の時代から1600年以上も後の「明代(1368〜1644年)」の皇帝たちでした。万里の長城は、特定の誰か一人ではなく、何世代にもわたる支配者と民衆がリレー形式で築き上げた遺産なのです。