この大ヒット曲は、バンドのパワーバランスを大きく揺るがす引き金にもなりました。1980年代前半、ハードロックバンドにおける主役はあくまでディストーションの効いたエレクトリックギターであり、キーボードを前面に押し出すアプローチは「軟弱なポップスへの魂の売却」とみなされる風潮が根強くありました。
幼少期からクラシックピアノの英才教育を受け、卓越した鍵盤の腕前を持っていたエディ・ヴァン・ヘイレンはキーボード主体の楽曲制作に強い意欲を燃やしていました。彼は自宅に建設した専用スタジオ「5150」に籠もり、独力で『Jump』のデモテープを完成させます。しかし、プロデューサーのテッド・テンプルマンやボーカルのデイヴは「ヴァン・ヘイレンはハードロックバンドであるべきだ」と猛反発し、シンセサイザーの導入に真っ向から異を唱えました。
エディは周囲の反対を押し切る形でレコーディングを断行し、1984年1月にヴァン・ヘイレンのアルバム『1984』がリリースされます。結果としてシングル『Jump』はバンド史上初となる全米ビルボードHot 100で5週連続1位を記録する特大ヒットを記録しました。しかし、商業的な大成功と引き換えに音楽性の主導権をめぐる対立は修復不可能なレベルまで激化し、1985年のデイヴィッド・リー・ロス脱退の決定的な理由となったのです。