近年、ソーシャルメディアやネット検索において「ジャンヌ・ダルクの最後の言葉はお母さん(Maman)だった」という言説を目にすることがあります。過酷な運命に翻弄された10代の少女が、死の恐怖に直面して母親の名を叫んだというストーリーは、情緒的な共感を呼びやすく、一部の創作物やSNS動画を通じて急速に拡散されました。
しかし、歴史的事実として検証した場合、この説は完全な誤解であると断定できます。
裁判記録、目撃した修道士たちの証言、処刑執行人の証言録のどこを探しても、彼女が「お母さん」と叫んだという事実は存在しません。前述の通り、ジャンヌダルク 最期の言葉の真相は一貫して「イエス」でした。では、なぜこのような言説が広まったのでしょうか。そこには、処刑後の歴史において母親が果たした「巨大な役割」が混同された背景があります。
ジャンヌの死後、彼女の汚名をそそぐために立ち上がったのが、実母であるイザベル・ロメでした。貧しい農民であったイザベルは、娘の死から20年以上が経過した1455年、高齢の身を押してパリのノートルダム大聖堂へと足を運び、教皇特使の足元にひれ伏して「我が娘は信仰厚い娘であり、異端者ではない」と涙ながらに訴願しました。この母親の執念が起点となり、翌1456年の復権裁判が実現したのです。
母と娘の強い魂の絆の物語が、後世の小説や戯曲、現代のショート動画などで脚色され、「母を求めて泣き叫んだ少女」というイメージへとすり替わっていったのが誤解の正体です。最期のジャンヌは、恐怖に震えるか弱い少女であると同時に、己の信仰と使命に対して驚くほど毅然とした殉教者であり続けました。