1990年代後半、ジャニーズJr.は社会現象と呼ばれるほどの爆発的なブーム(いわゆる「ジャニーズJr.黄金期」)を迎えます。その中心にいたのが生田斗真でした。
1997年、舞台『STAND BY ME』への出演を機に、松本潤・相葉雅紀・二宮和也・生田斗真の4人で構成された伝説のユニット「MAIN」が結成されます。頭文字を取って命名されたこのグループは、テレビ朝日系『8時だJ』などを舞台に Jr. の中心的存在として絶大な人気を獲得しました。しかし1999年、事態は急転します。
「MAIN」のメンバーから生田を除く3人に大野智、櫻井翔を加えた5人で「嵐」が結成され、ハワイでの華々しいデビュー会見が開かれたのです。当時中学生だった生田は、仲間たちのデビューを祝福しつつも、心の中では激しい焦燥感と孤独に苛まれたと後に告白しています。
「自分だけが選ばれなかった」「明日からどうすればいいのか」という葛藤を抱えながらも、生田はJr.のリーダー格として踏みとどまります。2002年には、山下智久・風間俊介・長谷川純とともに「Four Tops」を結成。ユニットとして『ザ少年倶楽部』の司会を務め、Jr.全体の筆頭としてドーム公演を沸かせる存在となりました。
しかし2003年、今度は「NEWS」の結成により山下智久がCDデビューを果たすことになり、Four Topsは事実上の解散を迎えます。かつて共に切磋琢磨した盟友たちが次々と王道のアイドルルートへ羽ばたく中、生田は再び「取り残される側」の痛みを経験することになりました。