1989年12月、ベルリンの壁が崩壊した直後の東ドイツ・ドレスデン。群衆が押し寄せるソ連領事館の建物内で、若き中佐だったウラジーミル・プーチンは拳銃を手に緊迫した時間を過ごしていた。本国モスクワへ援軍を要請する電文を打ったものの、返ってきたのは「モスクワは黙っている」という絶望的な一言だった。ソビエト連邦国家保安委員会(KGB)のエリート将校として誇り高く生きてきた男の尊厳が、音を立てて崩れ去った瞬間である。
このドレスデンでの孤立無援の体験こそが、彼の政治的思想のバックボーンとなった。中央権力の機能不全に対する深い恐怖と、力こそが秩序を保つという露骨な現実主義。モスクワの沈黙が残した傷痕は、のちに巨大国家を率いる指導者の執念へと姿を変えていく。