蕎麦切りの技術が体系化されたのは、江戸時代中期とされています。それまで蕎麦は「蕎麦掻き」として食べられることが多く、麺状に切って食べる文化は比較的新しいものでした。
江戸の蕎麦文化が隆盛を極めた18世紀後半、各店が独自の技法を開発し始めました。白流もこの時期に確立されたと考えられています。ある老舗蕎麦店の記録によれば、初代店主が編み出した切り方を「白流」と名付け、代々継承してきたという記述が残っています。
地域による違い
興味深いことに、同じ白流という名称でも、地域や店によって微妙な違いが存在します。東京と京都では包丁の角度が若干異なり、長野では独自の改良が加えられています。これは各地の蕎麦の品種や水質、気候条件に合わせて技法が最適化された結果です。