ケルン大聖堂の建設は、1248年8月15日、大司教コンラート・フォン・ホッホシュターデンによる定礎から始まりました。しかし、最終的な落成式を迎えたのは1880年10月15日。実に632年もの月日を要した計算になります。一見すると建築技術の未熟さが原因に思われがちですが、長期化の本質は中世から近代にかけての激動の政治経済と宗教的パワーバランスの変遷にありました。
直接の建設契機となったのは、1164年にミラノからケルンにもたらされた「東方三博士の聖遺物」です。キリスト誕生を祝った賢者たちの遺骨を収めるにふさわしい「キリスト教世界最大の巡礼地」を築くべく、当時最先端だったフランスのゴシック様式(アミアン大聖堂など)を模範とした野心的な建設計画が策定されました。東側の内陣は1322年に完成し、典礼が執り行われるようになりましたが、16世紀に入ると状況が一変します。
マルティン・ルターに端を発する宗教改革の波と、それに伴う財政基盤の弱体化、さらには巡礼者からの寄付金激減により、1560年頃に建設工事は完全に凍結されました。南塔の上に木製クレーンが据え置かれたまま、大聖堂は約300年間にわたり「未完成の巨大な廃墟」として放置されることになります。当時の記録画や旅人の手記には、この未完成のクレーンこそがケルンの奇妙なシンボルとして記されていました。
凍結された巨大プロジェクトを蘇らせたのは、19世紀初頭のロマン主義の台頭と、ナポレオン戦争後のドイツ統一機運でした。失われた中世の設計図(ファサードの原画)がダルムシュタットとパリで奇跡的に再発見されたことを機に、1842年、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が国家統合の象徴として再着工を決断。中世の職人技と19世紀の近代鉄骨技術を融合させ、38年の突貫工事を経て1880年、ついに全貌を現したのです。