巨人V9の名遊撃手・黒江透修の現在とは?星野・落合が信頼した名参謀の真相に関する気になる情報をわかりやすくまとめました。詳細を読もうことができます。
黒江透修氏の原点は、決して順風満帆なエリートコースではありませんでした。鹿児島県出身で、上京後に立教高校(現・立教新座高校)へ進学。立教大学へ進むも中退し、杵島炭鉱や専売公社東京といった社会人野球で泥にまみれながら実力を磨きました。そして1964年、読売ジャイアンツの入団テストを受けて合格し、25歳という遅咲きのプロ入りを果たします。
小柄な体躯を補う俊敏なフットワークと正確無比な送球、そして状況に応じた的確なポジショニングを武器に、名将・川上哲治監督の信頼を獲得。背番号「2」を背負い、長嶋茂雄氏や王貞治氏らとともに巨人V9(1965年〜1973年)の正遊撃手として黄金期を根底から支えました。1968年にはベストナインに輝くなど、守備の名手として球史にその名を刻んでいます。
項目黒江透修氏の実績・データ当時の球界基準・目安編集部の見解・評価現役通算成績1005試合 769安打 48本塁打 255打点 打率.243打撃重視のレギュラー平均(打率.260前後)数字以上の価値がある職人芸。犠打と進塁打、勝負強さはV9の生命線だった。守備力・タイトルベストナイン1回(1968年)、V9全期間に貢献名手ひしめくセ・リーグ遊撃手争いON砲の陰に隠れがちだが、川上野球の「負けない守備」を体現した主軸。指導者キャリア巨人、西武、ダイエー、中日、横浜などでコーチ歴任単一球団OB枠にとどまる指導者が多数球団の垣根を越えてオファーが絶えなかった、球界随一の「優勝請負人」。