近松門左衛門の作品を理解する上で避けて通れないのが、世話物と時代物の違いです。近松以前の人形浄瑠璃は、源平合戦や太平記などの武勇伝や貴族の権力闘争を描く「時代物」が主流でした。神仏の奇跡や英雄の武勇を仰ぎ見るファンタジーが娯楽の定番だったのです。
それに対し、近松が切り拓いた「世話物」は、同時代の町人社会で起きた実際の事件やゴシップ、市井の名もなき庶民の生活感情を即座に舞台化するリアリズム演劇でした。観客席に座る町人たちは、自分と同じ長屋の住人や商家の手代が金と恋に悩み、破滅していく姿を観て、我がことのように涙を流したのです。
この革新的な劇作スタイルが成立した背景には、近松門左衛門 生涯と経歴が色濃く影を落としています。承応2年(1653年)、越前国(現在の福井県)の藩士・杉森信盛として武家に生まれた近松は、家の没落に伴って京都へ移住し、公家に仕える青年期を過ごしました。有職故実や古典文学、漢籍の教養を深く身につけた彼は、やがて武家社会を離れ、当時は卑しい身分とみなされていた芝居の世界へと身を投じます。
名優・初代坂田藤十郎と提携して近松門左衛門 歌舞伎の名作を次々と生み出した後、浄瑠璃の語り手である竹本義太夫の情熱に打たれ、大坂・竹本座の専属座付作者となりました。武士の厳格な倫理規範と、公家の洗練された言語感覚、そして大坂町人のたくましいバイタリティ――この相反する3つの世界を生きたハイブリッドな経歴こそが、武家の「義理」に苦しむ町人の「人情」を多面的に解剖する唯一無二の視点を育んだのです。