教誨師の活動の中で最も重く、過酷な精神的負担を強いられるのが拘置所における死刑確定者(死刑囚)との対面です。 懲役刑の受刑者とは異なり、死刑囚には刑務作業の義務がなく、社会復帰を前提とした矯正プログラムも存在しません。いつ執行されるか分からない極限状態の中で日々を過ごす死刑囚にとって、定期的に訪れる教誨師との時間は、外の世界や自らの魂と繋がる唯一の窓口となります。
映画『教誨師』と大杉漣さんが浮き彫りにした人間の業
佐向大監督、故・大杉漣さん主演の映画『教誨師』(2018年)では、プロテスタントの牧師である主人公・佐伯保が、年齢も境遇も犯した罪も異なる6人の死刑確定者と面会室のアクリル板越しに対話を重ねる姿が克明に描かれました。 作中では、自らの正当性を主張し続ける者、理屈で教誨師を言いくるめようとする者、従順に見えて心を開かない者など、一筋縄ではいかない人間模様が展開されます。「ただ話を聞き、寄り添うことしかできない無力感」と「自分の言葉が本当に相手に届いているのかという自問自答」は、実際の教誨師たちが抱える共通の苦悩です。
死刑執行当日の立ち会いと背負い続けるトラウマ
死刑囚が教誨を希望している場合、教誨師は執行当日の朝、拘置所内の教誨室で最後の対面を行います。 関係者の証言や手記によると、執行直前に用意された最後の飲食(お茶や果物など)を共にし、読経や聖書の朗読、短時間の祈りを捧げ、遺言の聴取や家族への最後のメッセージを預かります。そして、絞首台へと向かう背中を見送り、遺体が安置された後に最後の引導や祈りを捧げます。 昨日まで言葉を交わしていた人間が目の前で生命を絶たれる瞬間に立ち会い、その最後の言葉を預かる経験は、教誨師の心に消えない傷を残します。さらに、職務上知り得た内容は外部はおろか家族にすら話すことが許されないため、強烈なトラウマや孤立感を抱え込む事例も少なくありません。