江戸川乱歩の原作と、後年の実写映画作品を比較すると、時代背景や監督の意図によってテーマが大きく変容していることがわかります。
原作『芋虫』が追求したのは、「閉鎖空間における官能とサドマゾヒズム」でした。社会や戦争そのものの是非には深く踏み込まず、外部と隔絶された屋敷の中で進行する夫婦の倒錯した関係性が主眼に置かれています。
対して、若松孝二監督の『キャタピラー』では、中国戦線での久蔵による現地女性への性的暴行(加害の記憶)がフラッシュバックとして挿入され、「国家の犠牲者であると同時に、侵略戦争の加害者でもあった」という多面的な戦争責任の告発へと大胆にシフトしています。また、ラストシーンの展開も原作とは異なり、シゲ子の心理的崩壊と国家体制への幻滅がより強調された結末となっています。
このように、乱歩が描いた心理的ホラーの骨格は、映像化されるたびに時代の要請やクリエイターの作家性によって異なるメッセージを帯び、観客に鮮烈な問いを突きつけ続けています。