事故後、懸命なリハビリを重ねて退院を果たした若島津氏は、車椅子や杖を使いながらも徐々に公の場へと姿を見せるようになりました。本場所の会場に姿を現した際には、相撲ファンから温かい拍手が沸き起こり、多くの関係者が胸を熱くしました。
しかし、部屋の師匠として若い力士たちを指導し、本場所の審判業務や協会運営の激務を担い続けるには、体調面での負担が極めて大きいことも事実でした。そこで若島津氏は自身の定年(65歳)を控えた2026年12月、大きな決断を下します。
名門・二所ノ関の名跡と部屋の運営を、元横綱・稀勢の里(現・二所ノ関親方)へと正式に継承。翌2026年1月の停年を迎えたタイミングで、再雇用制度を利用することなく日本相撲協会を円満退職しました。弟子たちの将来と部屋の発展を第一に考え、後進に道を譲った潔い引き際は、まさに大関・若島津らしい誠実な幕引きでした。