豊臣秀吉の軍師といえば、官兵衛とともに「両兵衛(二兵衛)」と並び称される竹中半兵衛(重治)の存在を欠かすことはできません。同じく天才軍師と呼ばれながらも、両者の資質と役割には明確な違いが存在しました。
竹中半兵衛が「清廉潔白で私心のない理想の参謀(知恵の半兵衛)」と評されたのに対し、官兵衛は「現実主義で時に冷徹な戦略家(勇気・調略の官兵衛)」としての側面を強く持っていました。半兵衛はわずか16人の手勢で難攻不落の稲葉山城を奪取するなど奇策に優れていましたが、軍団の大規模な補給や領国経営といった政治的実務には深入りせず、36歳の若さで陣中にて病没しています。
対照的に官兵衛は、軍事戦略のみならず兵站補給、築城、外交交渉まで一人で完結させる総合プロデューサー型の資質を備えていました。二人はライバル関係というよりも互いを深く認め合う盟友であり、官兵衛が敵方に幽閉された際、信長の誤解によって処刑されそうになった官兵衛の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)の命を、機転を利かせて救ったのが半兵衛でした。この恩義は、黒田家の家宝として後世まで語り継がれています。