甘利虎泰とは武田信玄の重臣であり、板垣信方についでナンバー2の地位でした。
武田信玄の親族であるとともに、戦国武将として活躍した有名人なのです。
上は武田信玄の家系図です。
「甘利」という名は、鎌倉時代、源頼朝謀殺された「武田信義の嫡男・一条次郎忠頼の子孫」であり、甘利山の麓に住んでいたことから「甘利氏」と名乗るようになりました。
甘利虎泰は、武田信玄に一目置かれる戦略に優れており、板垣信方の野心家でオラオラ系とは逆であり、慎重で冷静沈着だったのです。
したがって、「ここぞ!」という時は武田信玄により「甘利隊、前へ!」と選出されることも多くあり、さらに部下からの信頼も高かったことがわかっています。
「甘利隊」と聞くと、それだけで逃げ出す兵士も多かったほど、一目置かれていたのです。
こんなエピーソードがあります。
甘利虎泰、最後の戦いである1548年2月の「上田原合戦」で、甘利虎泰は善戦したのですが、深入りしすぎたために討ち死にしました。
その時、甘利虎泰が敗れた後、甘利隊は誰ひとり逃げ出すことはせず、果敢に戦ったようです。
ほとんどの場合、頭が破れると敗走するものが多いのですが、甘利虎泰の普段からの信頼関係が故にその結果が現れたのではないでしょうか。
この様子は武田信玄のもとにも情報が届き、「備前による日頃の慎重な訓練がものを言ったのであろう」と評したのです。
冷静に物事を把握し戦略を練る頭脳派な一面を備えていた戦国武将だったのです。
