勝興寺の境内地は、日本の歴史が幾重にも折り重なった特別なトポス(場所)です。この地は奈良時代、万葉の歌人として名高い大伴家持が越中守(国司)として赴任し、数々の名歌を詠んだ「越中国府」の故地に重なっています。
文明年間(15世紀後半)、浄土真宗中興の祖である蓮如の八男・蓮誓が富山・土山に開いた土山御坊を端緒とし、その後安養寺を経て戦国時代には越中一向一揆の最高司令部として絶大な軍事力・経済力を誇示しました。織田信長や佐々成政、上杉謙信ら戦国大名と丁々発止の外交・合戦を繰り広げた歴史を持ちます。
天正12年(1584年)、前田利家の支援を受けて現在の伏木古国府へと移転。勝興寺の境内を歩くと一目瞭然ですが、周囲には巨大な土塁と水堀が巡らされており、寺院でありながら実質的な「平城」としての構造(寺城=城郭伽藍)を備えています。加賀藩主前田家は勝興寺を厚く保護し、藩主の娘が寺へ輿入れするなど、藩内宗教行政の要として重用しました。この「宗教と武威の融合」こそが、他の古刹にはない勝興寺独特の重厚感を生み出しています。