教団全体が存亡の危機に立たされるなか、京都の西本願寺と東本願寺の両本山は、極めて現実的かつ戦略的な対応を取りました。
まず両本山は、莫大な財政難に苦しんでいた明治新政府に対し、いち早く多額の献金(軍用金や御用金)を拠出することで政治的なパイプを確保しました。さらに、新政府が進める北海道開拓事業へ門徒を挙げて協力するなど、国家事業に不可欠なパートナーとしての存在感を示したのです。
同時に、西本願寺はいち早く欧米諸国への海外使節団を派遣しました。キリスト教圏の宗教事情や政教分離の原則を現地で調査・分析し、日本が近代国家として国際社会に認められるためには「宗教弾圧をやめ、信教の自由を確立することが必須条件である」という論理的な対抗策を構築していきました。