麿赤兒という表現者を語る上で欠かせないのが、1960年代後半から70年代にかけて吹き荒れたアングラ演劇の嵐だ。唐十郎率いる状況劇場で看板俳優として異彩を放った後、麿は1972年に舞踏集団「大駱駝艦」を立ち上げる。肉体を極限まで追い込み、人間の原始的な生命力を曝け出す暗黒舞踏のスタイルは、日本国内にとどまらずパリやニューヨークをはじめとする世界的舞台で絶大な評価を獲得した。
全身白塗りの舞踏家たちが群舞する大駱駝艦の圧倒的なスペクタクルは、当時の前衛芸術シーンに決定的な爪痕を残した。父親が放つその圧倒的な熱量と「肉体そのものを表現の刃とする」哲学は、幼少期の大森南朋の記憶に深く刻まれ、後年の彼の演技における強烈な「身体性」へと昇華されていくことになる。