大谷徹(父親)の野球指導法には、旧来のスパルタ教育とは一線を画す明確な指導原則がありました。徹さんは翔平少年が小学2年生で水沢リトルリーグに入団した際、自らコーチを引き受け、後に一関リトルシニアでも監督として直接指導に当たりました。しかし、家庭内にグラウンドの上下関係を持ち込むことは一切ありませんでした。
象徴的なエピソードが、小学校時代に父子の間で交わされていた「野球ノート(交換日記)」です。試合や練習が終わると、翔平選手がその日の反省や課題、良かった点を書き込み、父の徹さんが丁寧なアドバイスを返答するスタイルを取っていました。徹さんがノートを通じて繰り返し伝えていたのは、次の3つのシンプルな原則です。
- 大きな声を出して、元気にプレーすること(試合への集中と活力)
- キャッチボールを一生懸命にやること(すべての守備・送球の基本)
- 一生懸命走ること(最後まで全力でプレーをやり抜く姿勢)
技術的な細部に過剰に口を出すのではなく、姿勢や基礎の重要性を自発的に考えさせる。これが大谷徹の野球指導の神髄でした。「人から言われてやる練習には限界がある。自分で気づいて課題を克服する面白さを知ってほしかった」と徹さんは後の取材で語っています。
一方、母加代子のバドミントン歴も翔平少年の身体操作に決定的な影響を与えました。バドミントンは、手首の返し、肩甲骨周りのしなやかな連動、シャトルを空間で捉える高度な動体視力を必要とします。幼少期の翔平選手は、母の加代子さんと日常的にバドミントンで打ち合って遊んでいました。
投球時の驚異的な「腕のしなり」や、外角低めのボールをすくい上げて本塁打にする卓越したバットコントロールは、幼少期にラケット競技を通じて培われた脱力とインパクトの感覚が下支えしていると専門家からも指摘されています。父から学んだグラウンドでの規律と、母から受け継いだ柔軟な身体操作が見事に融合した結果が、現在の「二刀流」の礎となっています。