板東英二がなぜこれほどまでにゆで卵を愛し続けたのか。その理由は、単なる好物の域を遥かに超えた幼少期の強烈な飢餓体験にあります。1940年に旧満州で生まれた彼は、終戦とともに過酷な引き揚げを経験し、徳島県鳴門市で育ちました。当時の日本は深刻な食糧難であり、板東家も極度の貧困状態にありました。
当時の卵は、庶民にとっては病気の時にしか口にできないほどの超高級品でした。ある日、体調を崩して寝込んでいた少年時代の板東英二に対し、母親が苦労して工面した1つのゆで卵を差し出しました。殻をむいて口に運んだ瞬間の濃厚な旨味と温もりは、幼い彼の心に「この世で一番美味しくて栄養がある食べ物」「豊かさの象徴」として強烈に刻み込まれました。
後に徳島商業高校のエースとして甲子園で奪三振記録を樹立し、中日ドラゴンズでプロ野球選手として成功を収めて大金を稼ぐようになっても、その原体験が薄れることはありませんでした。「お金持ちになったら、腹一杯ゆで卵を食べる」という幼少期の誓いが、生涯にわたるゆで卵愛の原動力となったのです。