矢沢永吉が産声をあげたのは、広島県広島市仁保町(現在の広島市南区仁保)です。終戦からわずか4年後の1949年(昭和24年)9月14日、原爆の傷跡が色濃く残る復興期の広島で生を受けました。
瀬戸内海に面した港町に近い仁保の地で育った矢沢ですが、当時の実家周辺は決して裕福な環境ではありませんでした。トタン屋根のバラックが立ち並ぶ街並みの中で、幼い矢沢は生き抜くことそのものを肌で学んでいきます。この広島特有の逞しい下町情緒とハングリーな土壌こそが、後の「矢沢語録」に息づく強烈なバイタリティの揺籃となりました。