1988年のB'zデビューから1990年代前半のブレイク期において、稲葉浩志の肌にタトゥーは見受けられませんでした。当時の映像資料や音楽誌のグラビアを検証しても、初期はナチュラルな素肌のままでステージに立っています。
明確な転換点となったのは、1990年代後半(1996年〜1999年頃)です。アルバム『LOOSE』や『SURVIVE』を経て、バンドがより骨太な生音のハードロックへと回帰した名作『Brotherhood』(1999年)の制作期から、右腕やおへそ周辺にタトゥーが姿を現し始めました。
タトゥーが増えていった背景には、主に以下の3つの要因が存在します。
第1に、米国ロサンゼルスを中心とした海外レコーディング生活の影響です。現地のトップミュージシャンやエンジニアたちと寝食を共にし、セッションを重ねる中で、日常的な自己表現としてのタトゥー文化に自然と触れる機会が増加しました。特に彼が愛好するインディアンジュエリーやバイカーカルチャーの美意識が、身体装飾への関心を高めたと考えられます。
第2に、ソロアーティストとしてのアイデンティティ確立です。1997年の『マグマ』、そして2002年の『志庵』へと至るソロワークスでは、B'zという巨大な看板から一歩離れ、内省的な葛藤や一個人の人生観が赤裸々に綴られました。この時期に刻まれた「志」の文字や指先のデザインは、内なる自分と深く向き合った精神的マイルストーンとしての役割を果たしています。
第3に、身体そのものを「表現の楽器」として鍛え上げるプロセスとの共鳴です。ストイックな喉のケアや筋力トレーニングによって作り上げられた肉体に、自らの生き様を刻印していく行為は、ロックヴォーカリストとしての不可逆な覚悟を示すイニシエーション(通過儀礼)であったと読み取ることができます。