尾崎豊の命を奪った当日のタイムラインは、今なお多くの人々の脳裏に焼き付いています。1992年4月25日早朝、東京都足立区千住曙町の民家(通称・尾崎ハウス)の庭先で、全裸の状態で倒れているところを発見されました。
住民の通報によって救急搬送された病院では、医師から診察を受けたものの、付き添った妻らとともに一旦自宅へと戻ることになります。しかし、帰宅後に容体が急変。激しい呼吸困難に陥り、再搬送された日本医科大学付属病院で息を引き取りました。
司法解剖の結果、公式に発表された直接の死因は「肺水腫」でした。肺に過剰な水分が溜まり呼吸不全を引き起こす病態ですが、その根本原因は体内から検出された許容量を大幅に超える覚醒剤(メタンフェタミン)の急性中毒でした。過剰摂取によって急激に心肺機能が破壊され、命を落としたのが医学的な真相です。