世界的な知名度を誇る『蛸と海女』ですが、実は一枚売りの浮世絵版画ではなく、文化11年(1814年)に刊行された全3巻の艶本(春画本)『喜能会之松(きのえのまつ)』の中巻に収められた見開き図版です。当時の北斎は50代半ば。肉体と技法がもっとも円熟期を迎え、旺盛な創作意欲にあふれていた時期にあたります。
江戸幕府による厳しい出版統制(寛政の改革以降の風俗取締り)を避けるため、本作は版元や絵師の本名を隠し、北斎は「鉄棒ぬらぬら(てつぼうぬらぬら)」という奇抜な筆名を用いて世に送り出しました。『喜能会之松』は、男女の多様な情愛や交わりを巧みな構図と豊かな墨線で描き出した北斎春画の最高峰であり、そのハイライトとして配置されたのがこの異色作でした。
滑らかな曲線の蛸の触手と、陶酔する海女の柔らかな肉体。北斎の神がかり的なデッサン力と、木版彫師・摺師の超絶技巧が結集したことで、妖艶でありながら清々しいまでの生命美を放つ奇跡の一幅が完成したのです。