歌舞伎の歴史は、1603(慶長8)年に出雲大社の巫女を名乗る出雲阿国が、京都の北野天満宮や鴨川の河原で披露した「かぶき踊り」から幕を開けました。阿国は男装して刀を差し、茶屋の女性と戯れるという型破りなパフォーマンスを展開し、瞬く間に民衆の心を掴みます。これに追随する形で遊女たちが結成した集団が女歌舞伎(おんなかぶき)です。
当時の一座は、三味線を取り入れた最新の音楽と扇情的な舞踊を売り物にしていましたが、実質的には売色(売春)を伴う興行形態が主流でした。客席では有力な武士や豪商がひいきの役者をめぐって刃傷沙汰を起こすなど、治安上のトラブルが頻発。これに危機感を強めた江戸幕府は、1629(寛永6)年に「風俗を乱す」という名目で女性が舞台に立つことを全面的に禁止しました。
この禁止令は、宗教的な女人禁制(神道や仏教における穢れの概念)によるものではなく、あくまで「幕府による都市治安の維持と公序良俗の統制」という政治的判断によるものでした。この決定が、以後の日本演劇史のベクトルを決定づけることになります。