尊王攘夷派とは何だったのか?幕末を狂乱させた思想の真相と結末

尊王攘夷派とは何だったのか?幕末を狂乱させた思想の真相と結末

尊王攘夷派とは何だったのか?幕末を狂乱させた思想の真相と結末についての真相をお届けします。

尊王攘夷の炎に油を注ぎ、全国の血気盛んな志士たちを行動へ駆り立てた理論的バックボーンが「水戸学」です。 水戸藩第2代藩主・徳川光圀が編纂を開始した『大日本史』に端を発する水戸学は、幕末に至って藤田幽谷やその子・藤田東湖、そして会沢正志斎らの手によって「後期水戸学」として完成しました。特に1825年に会沢正志斎が著した『新論』は、天皇を中心とする日本の国体(国のあり方)を称揚し、西洋列強の侵略に対抗するための挙国一致を説いた名著として、全国の武士たちに読み継がれました。 水戸学は「徳川宗家を支える親藩」から生まれた思想でありながら、その論理構造の中に「もし幕府が朝廷の意向に背き、外敵から国土を守れないならば、幕府に従う大義は失われる」という極めて危険な革命の論理を内包していました。 この水戸学の理論を実践的なアジテーションへと昇華させた人物こそ、長州藩の思想家・吉田松陰でした。 松陰は長州・萩に開いた私塾「松下村塾」において、身分を問わず若者たちを集め、徹底した議論と人格教育を行いました。松陰が弟子たちに叩き込んだのは「知行合一(知ることと行うことは一つ)」という陽明学の精神と、「狂」の美学でした。 「諸君、狂いたまえ」 (吉田松陰が門弟たちに遺した言葉。常識に囚われて保身に走る者を排し、国家の危難に命を投げ打つ行動者を求めた) 松陰は幕府が無勅許で条約を結んだことを知ると激怒し、老中暗殺計画を企てるまでに至ります。幕府の手で投獄され、1859年に安政の大獄で処刑される直前、自らの死生観を綴った遺著『留魂録』にはこう記されています。 「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」 師の凄惨な処刑と純粋な遺志は、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋といった松下村塾の門弟たちにとって絶対的な引火点となりました。彼らは松陰の死を機に、「幕府を輔弼(補佐)して国を守る」という穏健な枠組みを完全に捨て去り、幕府そのものを実力で排除するテロリズムと革命運動へ身を投じていったのです。

松本 悠斗
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松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。